はい、「ウィキペディア」よく見させていただいています。
確かに、ここから取ったの?または、ウィキペディアが取ったの?ということはよくあります。 Yahoo!ニュース - 時事通信 - 静岡新聞が無断引用=コラムに、ネット事典から 7月5日12時33分配信 時事通信 コラムこれみたい。 http://www.shizushin.com/column/daijizai/20070629000000000010.htm 「宮澤喜一 - Wikipedia」はコレ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E6%B2%A2%E5%96%9C%E4%B8%80 そういや、以前、大学のレポートかで、 み~んな、Wikipediaから引用してて、おまけに、その解釈が違ってたということもありました。 (みんながみんな、違った解釈のレポートだって、何だコリャ!だったみたい。) 新聞記者が他の新聞から拝借しちゃったっていうのもあったなあ… 昔は、少々拝借しちゃってもわからなかったんだろうなとも思い、 逆に、拝借しにくかったかもとも思い… ばれても、そんなにニュースにならなかったとか… でも、コラムとか書いている人の知識力というのかすごいな… とか思うのだけど (地元の新聞、だれが書いているのか知らないけれど、フーンと思いながら読んでますが…) Wikipedia引用とか書いてたらちとなさけないよね。 そもそも、コレって、信用は自己責任よね。 (もしかしたら違うかもよ♪ってとこはあるのよね…) 内容が違うと書いていないからたぶん事実なんだろうな。 これで、事実と違ってたら、目も当てれない… 6月29日(金) 戦後日本を代表する政治家の1人、宮沢喜一元首相が死去した。87歳。23歳のとき、沼津税務署長として赴任するなど静岡県ともゆかりがあった ▼エリート官僚だった宮沢氏が政界に転身したのは1953年、池田勇人氏の強い勧めによるものだった。その2年前にはサンフランシスコ講和会議にも出席しており、高度経済成長をリードしてきた戦後政治の「生き証人」だった ▼首相になったのが72歳と遅かったのは、外見は穏和そうな印象を与えるが、実は負けず嫌いで毒舌家でもあり、多くの反感を買ったためとも言われている。70年代の外務大臣在任時、旧ソ連の古強者グロムイコ外相との北方領土交渉では、のらりくらりと話をはぐらかすのに業を煮やし、恫喝(どうかつ)して席に着かせたという伝説もある ▼安倍晋三首相の父親晋太郎氏、竹下登氏と共に「安竹宮」と呼ばれ、ライバル視された。今、参院選を控えて自民党の苦戦が指摘されているが、宮沢氏はどういう思いを抱いていたのだろうか。争点として浮上している憲法改正については、宮沢氏は「ハト派」であり、九条改正には慎重な姿勢を貫いた ▼しかし、2001年に行われたサンフランシスコ講和会議50周年の式典で、宮沢氏は、唯一の生存者としてスピーチを行い、「個別的自衛権の論理的延長として、集団的自衛権を位置付けることを提案する」と述べ、これを日米関係の21世紀への遺言としたことは印象的だった ▼93年の衆院選で敗北、「55年体制」最後の宰相となり「自民党の徳川慶喜」とも呼ばれた。そのときの苦渋をなめぬよう、かつてのライバルの息子にエールを送っているのではなかろうか。
by maron415
| 2007-07-05 16:58
| ニュース 新聞より
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