とある本で、「不幸な子どもの生まれない対策」という施策が昔あったということを知りました。
で、検索くんしていて遭遇しました。 シリーズ・戦後60年・人権の居場所<5>苦悩 「不幸な子」って、誰だ(西日本新聞) この、兵庫県の「不幸な子の生まれない運動」は、 以前にも何かで読んで知り、 県をあげて対策していたということにびっくりしたものです。 (暗にか明にか知りませんが、国の対策もそうかと…) 今は、「親御さんの判断にまかせる。」ということで逃げている? ちょうど、この60年代の後半から70年代にかけての頃、 胎児の段階で異常を発見する出生前診断が登場したらしいです。 で、産科医の多くも、そういう命は早めにわかって…の人が多く、 (早めにわかって、胎児治療するとか、生まれてからの手立てを考えるのではなくてね。) 世間の多くの人も、 障害者=親も子も不幸になる。 経済的にも、精神的にも苦労する。 社会にとってもお荷物な存在になる。 今の社会の状態とか考えると、 産むのをやめるのを選択してもそれは、当事者以外がとやかく言えることではないと思います。 でも、いろいろ悩んで、考えて、 産むことを選択した人たちに対して、 「産むのは親のエゴ、勝手」っていう人に対しては、 「産まないのを選択する方が親の勝手」じゃないかと思います。 逆もね。 (産むのをやめた人に対してあーだこーだということもね。) で、美しい日本としてははどっち向いているのかな。 美しい日本として、すべての命を尊重するほう? いや、ふさわしくないとして、選別するほう? 「五体満足」に産まれてきてほしいって言いますね。 五体満足で知的な障害もない子供を欲しがる親の願望を「パーフェクトベビー願望」と呼称するそうです。 当たり前と言えば、当たり前の親の感情だなあと思いつつ、 それが、命の選別につながっていく… 「ブラックジャックによろしく」の3,4巻あたりにこの話がでているらしいのですが、 だれか知りません? 最後に、週刊誌を立ち読みして知りました。 読売新聞 2006年12月7日より 私自身、 「タル」のことがもっと早くにわかっていれば、 と考えたことがあります。 でも、考えてもわからないという結論しかでませんでした。 結局、わからないままです… 命に不幸な命も幸福な命もあるのかな? そこに存在するだけで、生きているだけでいいじゃん とか、思うのだけれど、 大変な現状を考えるとわからなくなるのです。 で、結局わからないまま、おいとくのです… シリーズ・戦後60年・人権の居場所<5>苦悩 「不幸な子」って、誰だ (西日本新聞)20051111付 朝刊掲載 〈年々、異常児の出産が減りつつあることは喜びにたえない〉 一九七三年に出版されたPR図書「幸福への科学」の序文に坂井時忠・兵庫県知事(当時)がつづっている。著者は、同県衛生部の「不幸な子どもの生まれない対策室」だった。 同室は、障害児施設を視察した先代の知事の発案で七〇年に設置され、障害のある子どもを「不幸な子」と定義した。「不幸な条件を持って生まれると、本人や家族の苦悩はもちろん、社会の負担は計り知れない」と、羊水検査の県費負担や先天異常のある胎児の中絶推進を打ち出した。 「われわれは不幸なのか。生まれてきてはいけないのか」。七四年、障害者団体の強い抗議で同室は閉鎖された。しかし、「心身障害児の発生予防」は優生保護法に則した政府の方針でもあった。同県の「不幸な子の生まれない運動」は、出生前診断の普及と歩調を合わせるように、全国的に広がった。 母体の年齢が上がれば、ダウン症などの染色体異常の頻度は高まるとされる。「三十五歳以上の妊婦がダウン症児を出産する割合が、昔より大幅に減っているというデータがあります」。福岡県内の産婦人科医が、抑えた声で言った。 「高齢出産を意識した妊婦が出生前診断を受け、異常が見つかれば中絶を選ぶ例が増えているからでしょう」と医師は解説した。 福岡市の会社員女性(42)が、これまで不妊治療にかけた費用は約三百万円。「夫と話し合って五百万円まで続けると決めた。でも、もし、やっとできた赤ちゃんが先天異常と診断されたら正直ショックです」。それを避けるため、出生前診断より前の段階で行う「着床前診断」に注目する。妊娠前の受精卵の段階で遺伝子や染色体を調べ、異常がないものだけを子宮に入れる技術だ。「中絶を避けられるので、出生前診断より人道的」という評価の一方、「憂うべき極端な優生思想だ」と批判を浴びる。 「障害=不幸ではない」 口唇口蓋裂(こうしんこうがいれつ)やダウン症など胎児の先天異常が分かった妊産婦に、そんなメッセージを贈り続けている歯科医がいる。北九州市立総合療育センター歯科部長の武田康男(56)。武田は八四年に同僚の言語聴覚士らとチームを結成。わが子に障害があることを受け入れられるよう、親を支える「受容支援活動」をボランティアで続けてきた。 「出生前診断で分かった胎児の異常を告知する際、医師が夫婦に伝えるのは、知的・身体的ハンディなどの情報が大半」と語る武田。彼の受容支援は、「ご出産おめでとうございます」という祝福の言葉から始まる。場合によっては、障害のある子を育てた親も同席し、療育の楽しみや、未来の可能性も紹介する。 支援した家族は約五百五十。今年から北九州産婦人科医会との連携を本格化させ、全国に先駆けた取り組みとして注目を集める。 福岡県遠賀町に住む自営業女性(46)は四年前に産んだ第二子がダウン症だった。受容支援活動に参加予定だ。「本当に大変ですよ。すべてが。だから中絶する人を非難するつもりはない。でもね、『ダウン症の子』である前に『私たち夫婦の子』。かわいいんですよ。それを伝えたくて」 ▼優生保護法 第2次大戦後の人口急増を背景に1948年に制定され、中絶を事実上合法化した法律。ナチスドイツの遺伝病子孫予防法の影響を受けたとされる戦時中の国民優生法を改正。「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」(第1条)ことなどを目的に、親や子どもの遺伝性の病気を理由とした中絶や断種を認めた。96年に母体保護法に改正された際、「優生思想」の条項は削除された。しかし近年、「不治または致死的と認められる著しい疾患」が胎児にある場合、妊娠中絶を認める「胎児条項」を母体保護法に加える動きがある。 読売新聞 2006年12月7日より転載 なくせ いじめ自殺 「出口は必ずある」 ダウン症の娘 9月に出産 あるがまま愛して 大平光代・弁護士 昨年10月に助役を辞任し法律事務所の先輩と結婚、そして、9月にダウン症の娘を授かった。「自分のペースでゆっくり歩めばいい」と思い「悠(はるか)」と名付けた。「大人は、子どものあるがままを愛することが必要」。今、その思いを強くしているという。 娘と向き合い、そう強く思う。出産は予定日より1か月早く、帝王切開だった。翌朝、染色体の異常で起きるダウン症と知った。 「(事前に染色体異常がわかる)羊水検査もしなかった。ダウン症だとわかっていても産んだ。健常児とは、いろいろ違うだろうが、焦りはない。私は、どんな方法でも挽回できることを体験してきた。もしできなくても、それはそれで、この子の個性だと思う」 帝王切開の傷跡が壊死する原因不明の病気で約1か月入院し、自宅療養のあと、12月から弁護士活動を再開したという。 悠ちゃんは、心疾患の合併症があり、年明けに手術を控えている。市政への復帰について聞くと、「親としてできる限りのことをしたい。母親は私しかいない。もう、政治には携わらない。市民として応援したい」と話した。 ■
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by maron415
| 2007-03-17 16:20
| 天使ママ お産 関連
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