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悲しいとき… その2
ある人からメールが届いて
人のよき出逢い、よき縁を感じました。
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マロンママの好きな言葉です。
 
「悲しいとき…悲しいとき…」は"いつもここから"ですね。
"いつもここから"といえばこちら
ゴメンナサイ話を戻します。

新聞に載っていたお話、どんなお話かというと…
つらいことがあった50代の女性が、無性に母の顔が見たくなって会いに行った。しかし、年老いた母に泣き言は言えなかった。しばらく話をして帰った。母の姿が見えなくなった途端に、涙がこぼれた。

わたしはこの話を読んで涙が止まリませんでした。

で、思い出したのが

相田みつをさんの次の詩…
この中にあるかどうかは忘れました。
昔の本、実家にあるもので…
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だれにだって

だれにだって
あるんだよ
ひとにはいえない
くるしみが
だれにだってあるんだよ
ひとにはいえない
かなしみが
ただだまっている
だけなんだよ
いえばぐちに
なるから


人生ある程度年をとったら、一つや二つ人には言えない苦しみ、悲しみあるよということ?

もうひとつ思い出した本
『松風の家』 宮尾登美子(著)  出版社
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著者からの内容紹介
明治初年、京の茶道宗家・後之伴家は衰退し、家元も出奔した。残された人たちは幼き家元を立て、苦難の時代を乗り切ろうとするが…

で、本の中身とは全然はずれるんですが、

この本の中に、由良子という女性がでてきます。
この人は妾腹の子ですが、父親がその家からいなくなっても、そのままその家に娘として残ります。

人が秘密にしていることは、無理やり聞き出すものではない。そっとそのままにしておく…それが京都の人間のつつしみだ…と言う感じのことがよくでていて、そのほうが印象に残っています。

妾腹の子だか、その家に娘として残る。
入ってきた若嫁さんが、涙していてもそっとしておく。
本来は嫁が姑を看なければいけないが、表面上はそうしておいて、実際看るのは、義理の娘、孫である由良子。
自分の実の息子だけれど、人に預けた以上、義理の息子らはずっとその存在を知らなかった。

それはそうと、この話フィクションだと思ったらそうでもないらしいです…
そのほうがびっくりです。

ついでにもう一つ

「電池が切れるまで」の仲間たち―子ども病院物語 宮本雅史という本の中にあった詩です。
「親の思い」 

五体満足で育っている子どもをもつと
子どものいない人をうらやむことがある

切って縫って体にきずをもつ子どもをもつと
元気で普通の子どもをうらやましく思う

一生ハンディの残る子どもをもつと
一時の治療ですむ子どもをうらやましく思う

余命宣告されたり子どもの死んでしまった親は
ハンディが残ってでも生きている子どもを持つ親をうらやましく思う

子どもができない親は
産める親をうらやましく思う

腹のそこから大笑いしているそんな時もよいけれど
私は いつも微笑んでいられる一日一日、瞬間瞬間を大切にしたい

五体満足で育っている子どもから見ると、子どものいない人の気持ちはわからない。逆に、子どものいない人から見ると子どものいる苦労はわからない…
そう、うらやましくないと言ったらうそになりますが…

ちなみに上の話はマロンママが自分に言っているだけです…
悲しいなら、自分の気持ちに正直に感じて寄り添えばいい…
でも、なかなか難しいなあ…

なあ!マロン!
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………………
返事もしてくれなくなりました…
by maron415 | 2006-11-12 16:53 | 独り言
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